
会社を辞めて挑んだ、女ひとり300キロのスペイン・カミーノ巡礼旅
退職することにしました、そしてカミーノに行ってきます!
「は、どういうこと。っていうか何それ」というのが、突飛に思える告白をした私に対する、だいたいの反応だった。
スペイン巡礼、スペイン版お遍路、サンチャゴの道。呼び方はいろいろだが、正式名称は『カミーノ・デ・サンティアゴ』。カミーノとはスペイン語で「道」を意味する。スペイン北西部にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を目指して、2024年にはおよそ50万人ものバックパッカーが巡礼路を歩いた、ヨーロッパ随一のロングトレイルだ。
この巡礼旅を、とある作家の著書で知った私はここ数年の間、「いつか私もカミーノに」と夢見ていた。毎朝毎晩、通勤電車に揺られながら「カミーノ」「女ひとり旅」などの単語をグーグル検索にかけては、仕事から逃避する日々。あー、旅に出たい。カバンひとつで、ひたすら歩きたい。ぼんやりだった夢がすっかり欲望へと進化を遂げたころ、いっそのこと会社を退職して実行してやろうと決めた。やりたいことをやる。行きたい場所に行く。なりたい自分になる。これはそのための旅なんだと、ぶつぶつひとりごとを言いながら2025年10月、日本を出国した。

スペイン巡礼路は、隣国フランスの街からスペインを横断するルート、ポルトガルの海岸線に沿ってスペインへ北上するルート、スペイン国内を縦断するルートなど、たくさんの道が存在する。フルコースだと、起点とされる街から約800キロの道のりを、徒歩で30日以上かけてめぐる壮大な旅だ。だが巡礼証明書が発行される最低条件はというと、ゴールまでの100キロを完歩するのみ。体力や休暇の都合に合わせて好きな場所から巡礼を始められるのが、カミーノの良いところだ。私は今回『ポルトガル人の道』と呼ばれる、リスボンから始まるルートの中間地点ポルトの街からスタートすることにした。

ホタテ貝に導かれて、歩く
カミーノを旅する巡礼者は「巡礼手帳」を必ず持ち歩く。巡礼者であること証明するパスポートでもあり、立ち寄った教会・宿・バル・レストランなどでもらうスタンプを集める御朱印帳としての役割もある。さまざまなデザインのスタンプが押された巡礼手帳は、見ているだけで楽しい気分にさせてくれる。
そしてもうひとつ、見知らぬ土地をめぐる巡礼者たちをゴールへ導く道標が、ホタテの貝殻をモチーフにした黄色いシンボルマークだ。このマークは道中いたるところにあって、数百メートル毎にある石柱に描かれていたり、アスファルトの地面や、町中の看板や、住宅の塀や、山中に置かれた岩なんかで見つけることができる。
中世からカミーノの象徴であったホタテ貝は、聖ヤコブ(スペイン語で「サンティアゴ」)の遺骸を乗せた小船の船底にたくさん付着していた、という伝説に由来している。
ちなみに私のお気に入りの説は、ホタテ貝の形がイベリア半島そのものを表している、というもの。貝の表面にある放射状に広がる起伏線が、まるでサンティアゴ・デ・コンポステーラから伸びた道のように見えるのが、導かれている感があってなんだかグッとくる。

巡礼路にはホテルもあるが、巡礼者向けの「アルベルゲ」と呼ばれるホステルが多く点在している。複数人での相部屋だが、びっくりするほど格安な上、快適なところも多い。
歩き始めて2日目に泊まったアルベルゲは、50床以上もベッドを備えた広い施設で、宿代はなんと無料。リビングもダイニングもあって、シャワールームは清潔、とても居心地が良い。
このアルベルゲをひとりで管理しているアントニオというおじさんがいた。年齢は70歳くらいだろうか。ポルトガル出身のアントニオは、ジョークを飛ばしながら巡礼者みんなに気を配る、陽気で明るい人だ。
「カミーノで一番すばらしい瞬間はどんなとき」とアントニオに聞いてみると、「きみ自身だよ!」とアントニオは熱を込めて言う。
「たくさんの人が毎日この道を歩くが、宗教的な動機がある人はわずか18%だと言われている。だが歩くうちに、カミーノの精神が巡礼者の心に宿るんだ。それがどんなものか、きみ自身がわかるとき、それが最もすばらしい瞬間なんだ」
特別に、とアントニオは微笑みながら引き出しからポストカードを取り出して、私にくれた。描かれているのは、私たちがいる、このアルベルゲ。私はスタンプが押された巡礼手帳と一緒に、大切にしまった。
家と家の間を抜ける坂道、砂埃舞う農道、木々が茂る森の道、岩だらけの山道。人の気配がない、この世界でたったひとりになったような時間。数十キロを毎日歩いていると、そんな時間が訪れる。けれど、黄色いホタテの道標が、決して孤独ではないと、行く道を照らしてくれているように思えて、励まされる。そういえばコンポステーラという言葉には「星の野原」という意味もあったんだった。このマーク、星の瞬きに見えなくもない。もうずっと長い年月、私みたいな誰かの行く道を照らしてきたんだ。ときどき見失って迷子になっても、ひと休みして、少し引き返したりして、またすぐにマークは見つかる。そして必ずゴールにたどり着く。なんだか人生みたいだなと思うと、気持ちが軽くなる。アントニオが話してくれたカミーノの精神ってこういうことかと、思いをめぐらせながら歩き続けた。

生きるために必要なものだけを背負って、歩く
初めてのバックパック生活。あれもこれもとりあえずスーツケースに入れておけばいいや、なんて旅行とは大違い。1グラムでも軽くするために、よく考えながら最低限必要なものだけを選んで、カバンに詰めた。
その日は、早朝から大粒の雨が降っていた。山道にはちいさな川があちこちにできていて、足を踏み出すたびにずぶ濡れの靴下からグジュグジュと嫌な音が鳴る。歩き始めてから十日近くも経つというのに、足の小指にでき始めたマメが、今ごろになってパンパンに膨れ上がっている。前日までの快晴が嘘のような悪天候に、巡礼者の誰もが消耗していた。靴下を履き替えがてら遅い朝食にしようとたまたま立ち寄ったカフェで、クララという若い女性と知り合い一緒に歩くことになった。クララはチェコ共和国出身の25歳で、大学の卒業証書を授与されるまでの休暇を使って、ひとり巡礼に来ていた。私たちは歩きながらたくさんおしゃべりをした。今までのカミーノのこと、家族のこと、コロナ禍での彼女の大学生活のこと、仕事のこと。数日前クララがほかの巡礼者に恋をしたなんて話も、ふたりできゃあきゃあ言いながら歩いた。
私が、「こんなふうにカバンを背負って長い時間歩くのは初めてだからたいへんだよね」と言うと、クララは三つ編みにした長い髪を雨に濡らしながら、ニコニコと答えた。
「最初はね、すごく重くて肩も痛くなったけど。今はもうこのカバンは、からだの一部みたいなの」
カミーノを始めてからの最初の弱音は、肩が痛い、背中がツラい、ふとももがしんどい、ふくらはぎが悲鳴をあげている。ああ、背中のカバンがなければどんなにラクか。けれど、すぐに考え直す。いま背負っているものの中に、なにひとつ、いらないものはない。ぜんぶ自分で選んで、カバンに詰めた。この重さは、生きるために必要なものの重さだ。そうして数日のうちに、からだの痛みはなくなって、自分がカバンの重さに順応していくのがわかる。カバンが、からだの一部になった瞬間だ。クララの言葉で、そんなからだの変化が誇らしかったのだと思い出した。そのころには、もうすっかり足のマメのことは忘れていた。
それから、私たちはサングリアで乾杯して、最後にハグをして別れた。それぞれのカバンを背負って。

12日間で、ポルトからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、およそ300キロを歩ききった。不思議なことに、どんなに疲れ切ってくたくたになった日でも、次の日の朝には気力が湧いてきて、どこまでだって歩ける気がしていた。
道を教えてくれた通りすがりのおばさん、タパスをサービスしてくれたバルのお兄さん、にっこり笑いかけてくれた女の子、「良い旅を!」とベランダから声をかけてくれたおじいさん。立ち寄った町のローカルな人たちとの、ちいさいけれどあたたかいやりとりから、たくさんのエネルギーをもらった。
そして世界中から集まった巡礼仲間たちと言葉を交わし笑い合った時間は、私のからだの中に取り込まれている。まるで食べたものがからだの一部になるみたいに。「またあとでね」と言って別れたきり、会えなかった友だちがたくさんいるけれど、それほど悲しくないのは、からだに取り込んだちいさな彼女たちと一緒にゴールしたからかもしれない。同じように彼女たちのからだの中にもちいさな私が宿っていて、彼女たちと一緒にゴールしたのかもと想像してみると、何倍もうれしくなる。
カミーノは発見の旅だ。人との出会い、見たことのない風景、初めて食べる料理、からだの変化、日本を思う気持ち、仲間の存在、人生の歩き方。生きている世界が窮屈に感じてしまったら、そのときはまた、歩き出そう。すべてのカミーノは、つながっているのだから。

文・写真/ささき りょーこ
【この記事もおすすめ】


