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アイデアは四上でうまれる(奈良県 御船の滝)【チェアリング思考/第3回】

「チェアリング」を知っていますか? 屋外で「折りたたみ椅子」に座る遊びを指します。画家であり美容師であり、そして今はライターとしても活動したいと思っている私は、4年前からこの「チェアリング」を始めました。
アスファルトの上でも自然の中でも、椅子に腰かけると、そこが自分だけの空間へと変わります。そして思考が攪拌されていきます。ここで生まれる思考のことを、私は「チェアリング思考」と名づけました。チェアリングしながら見た景色を絵と文章でお届けする連載です。今回は昨年2月の御船の滝でのこと。

「あかん。もう、エネルギーがミジンコくらいしかあらへん」

昨年の2月初旬、運営する美容室の長期経営計画書の作成に行き詰まり、時計の針が24時を超えた時。ついにエネルギーが底をついた。そんな時は自然の中で折りたたみ椅子に座り、リフレッシュしに行きたくなる。

翌日にどこかでチェアリングをしようと、手帳の「行きたい場所リスト」のページを開く。そこに氷瀑・御船の滝(ひょうばく・みふねのたき)という文字を見つけた。滝が凍る姿を氷瀑と呼ぶことを知り、いつか行ってみたいと手帳に書き記したことを思い出した。早速スマホで検索する。

「御船の滝は高さ約50メートルから2段になって水が流れ落ち、冬季の冷え込む時期には滝全体が凍り、見事な氷瀑となります。その姿は文殊菩薩(もんじゅぼさつ)をあらわすとも言われ、知恵を受けることができる滝として伝えられています」と書かれていた。さらに「積雪時、駐車場までの山道は夏用タイヤでは立ち往生し下り坂では制御不能となることがあります。危険ですので冬用タイヤでお越しください。御船の滝までは駐車場から冬季車両通行止めのアスファルト道を歩き、約1時間です」とも書かれていた。

SNSにアップされていた1週間前の日付の写真には、滝全体が凍った完全なる氷瀑の前でポーズをとる人たちが写っていた。しかし、どこを調べても現在の滝の凍り具合はわからなかった。翌日の早朝、バックパックに折りたたみ椅子と登山用のガスバーナーを詰め込んだ。冬用タイヤをはかせた車でひとり、御船の滝を目指した。

「思ってたんと違うねんけど……」

午前9時、駐車場に車を停めた。道は車が立ち往生するどころか、夏用タイヤでも十分だった。晴天の空を見上げる。山も一面緑色だ。どうりで駐車場に車が2台しか停まっていないわけだ。

「滝、溶けてるかもな……」と、半ば諦めムードでアスファルト道を歩き、車両通行止めのゲートをこえる。バックパックを背負った背中に汗が滲んだ頃、登山靴に軽アイゼンをつけた。標高が上がるにつれ、アスファルト道が雪で白く埋まっていく。手のひらに乗るほどの小さな雪だるまが道路脇の倒木に座っている。淡い期待を膨らませながら歩き続けると「御船の滝へ130メートル」と書かれた看板が目に映った。アスファルト道から登山道へ歩先を変えると、さらに積雪が増す。雪に残る足跡は、氷瀑が見頃だった先週に訪れた人の数を物語っている。谷のせせらぎに日がさしこみ、雪解け水が凛と光る。先行客の2人が降りてきた。「こんにちは」と挨拶をかわし歩いていると、滝の水が流れ落ちる音が微かに聞こえてきた。茶色い岩肌もチラリと見える。

「もうすぐゴール! って、言うてる場合か。絶対に溶けてるやん……」

完全諦めムードで進む。すると、高さ50メートルの御船の滝が姿を見せた。まわりには誰もいない。滝にむかって左側3分の2は少量の水が岩肌をなでるようにサラサラと流れ、優しい音色を奏でている。しかし、右側3分の1はアイスブルーの氷のドレスを身に纏っていたのだ。白く凍った場所もあれば、淡青に凍った場所もある。滝壺は雪と氷で完全に覆われている。そこに溶けたというよりも、剥がれ落ちたアイスブルーの氷の塊がゴロゴロと転がり落ちている。あと数日で姿を消そうとしている氷瀑に息をのんだ。滝壺の前でバックパックをおろした。折りたたみ椅子を取り出す。アルミポールでできた脚を組み立て、座面をかぶせた。椅子に体を預けると脚が雪に埋まる。自然の中でお気に入りの場所をみつけ椅子に座ると、そこが私だけの特別な居場所となる。立ったまま景色を眺めるよりも、大地との距離が近くなり「ここに居てもいいんだ」という安心感がうまれる。

しばらく、ぼーーっと氷瀑を眺めた。滝の上段に光が当たると氷瀑はさらに輝きを増す。降り注ぐ滝のミストはまるで粉雪のように滝壺へふんわりと落ちていく。すると氷瀑が白い滝壺から茶色い岩肌をつたい、力強く昇天する龍のようにもみえてきた。大人の腕ほどの太さのツララは龍の牙にも、角にもみえる。ボコボコと凍った氷の塊や、ザラザラと凍った氷の塊は龍のウロコにもみえる。ウロコの先端からはポタポタと水滴が滝壺へしたたり落ちていく。まるで空っぽになったコップに水滴が1滴ずつ溜まっていくように、仕事で疲れ果てた私の心と体に自然のエネルギーが1滴ずつ充填されていった。するといつの間にか、昨夜行き詰まってしまった経営計画書について思考を巡らせていることに気づいた。時計に目をやるとチェアリングをして小1時間が過ぎていた。

バックパックから登山用のガスバーナーを取り出した。火をつけ、クッカー(アルミ鍋)でお湯を沸かす。マグカップにコーンポタージュの粉を入れ、お湯を注いだ。ユラリと湯気があがるマグカップにふっーと白い息をふきかけた。マグカップを傾けると体が芯から温まっていく。心と体がゆるみ、はぁーーとため息がこぼれた。滝壺には光る滝のミストと鳥のさえずりが降り注ぐ。木々の香りが鼻を抜ける。じっくりと「今」を味わった。

「チェアリングってええな。心身ともにエネルギーが満たされる。また明日から仕事頑張れるな」そんなことを思いながらコーンポタージュを飲み終える頃、ハッと閃いた。「ええこと思いついた!」連日、頭を抱えていた長期経営計画のアイデアがみつかった。

あっ、そういえば……。

「次はライターになりたい」と新しい仕事のアイデアを思いついたのも、海岸で波の音を聴きながらチェアリングしていた時だった。個展で飾る絵のアイデアを思いついたのも、茜色に染まる夕焼けを見ながらチェアリングをしている時だ。運営する美容室がコロナ渦の危機を乗り越えることが出来たのも、山の沢でチェアリングをしている時に思いついたアイデアがあったからだ。

中国には古くから「三上」という言葉がある。三上とは、馬上(ばじょう)、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)だ。馬に乗っている時、布団に入っている時、トイレに入っている時にいいアイデアを思いつくと言われている。折りたたみ椅子に座っている時も同じだ。いいアイデアは四上で生まれる。

これまでチェアリングは心身をリフレッシュし、エネルギーを充填する遊びだと思っていた。だけど、アイデアを思いつく遊びでもあったんだ。

でも、その思いついたことを行動に変えることが出来たのはなぜだろうか……。

思考が深くなっていく。

いつも自然の中でチェアリングをして、目の前にある豊かな色彩、木々の香り、鳥のさえずり、大地の感触、外で飲むスープの温かさ、その全てが重なる「今」を味わっている。すると、心と体がエネルギーで満たされていく。多幸感に包まれ、心身ともに「よい状態」になる。そんな私にとって“ウェルビーイング”な状態で思考していると、ふとアイデアを思いつく。「〜をしなければならない」というストレスを感じることなく、「〜を知りたい、〜をやってみたい」という知的好奇心がフツフツと湧き上がる。

……そうか。

その知的好奇心が動機となり、思いついたことを行動に変えることが出来ていたんだ。動いてみると良くも悪くも結果がでる。そこからさらに試行錯誤を繰り返してエネルギーがミジンコくらいになった時に、またチェアリングをして「どうすればいいだろう」と思考してきたんだ。

御船の滝に文殊菩薩の姿は無かった。だけど、アイスブルーに輝く登り龍からアイデアを受け取ることができた。そして、チェアリングが屋外で座る遊びにとどまらず、アイデアを思いつく遊びであり、私にとっていい人生をつくる遊びであることを知ることができた。

後に、この体験を振り返り「チェアリング思考」という言葉を思いついたのでした。

文と絵/島袋 匠矢

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