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考えの違うあなたを「私」にして文章を書く仕事。代筆業で自分がなぜ豊かになるのか【連載・欲深くてすみません。/第25回】

元編集者、独立して丸8年のライターちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は、新たな年を迎え、昨年のライター仕事を振り返っているようです。

昨年の私は、いったい何人の「私」を書いたのだろう。

数えてみようと年明けに思い立ったものの、大雑把な性格なので手がけた仕事をまとめて記録しているわけもなく、昨年発表になった記事や書籍、細かなものまで数え出すと、ひと仕事になると気づいてやめた。

「私」は考える。
「私」は思う。

インタビューライターの私がパソコンの画面に向かって「私」と書くとき、そのほとんどは私ではない。研究者、俳優、作家、会社員、中高生、経営者、ジャーナリスト……私がいるのとは違う世界を生きている「私」の言葉を、昨年もたくさん書いてきた。

ときには、自分とは考えをまるっきり異にする人の言葉を、一人称で書かなければならないときもある。そういう意味で印象的な仕事があった。その人になりきり、主語を「私」にして書けるのかと、少しひるむような。

「私は、ごみをごみ箱に捨てなくてもいいと考えているんです」

えっと、どなたですか?

いきなり喋り始めた、この「私」、仮にA氏とする。私はA氏にインタビューをして、一人語りの記事を書くことになった。

(そのまま書くわけにはいかないお相手や内容だったので、「自分とは考えを異にするインタビュー相手」を、私の妄想で脚色し、デフォルメしてお送りしております)

さて、A氏の主張をくわしく聞いてみる。

「部屋のなかをごみだらけにしちゃうのって、実はすごくいいのよねっ。というわけで私は『汚部屋普及委員会』の委員長をしております」

はあ、あ、名刺をどうも。しかしね、ありきたりかもしれませんが、やっぱりごみはごみ箱に捨てたほうがいいと私は思いますよ。自分の部屋の床に、ごみがそのまま落ちているのを考えたらぞっとします。散らかっていると集中もできません。しかし、あなたがこう主張されるということは、何かそれなりのわけがあって?

「もちろん。では、私の幼少期のエピソードと、汚部屋普及委員会調べの『ごみをいちいち捨てないほうが実は生産性を上げるのよんデータ』を用いて、私の考えを説明するわ……」

言わずもがな汚部屋普及委員会もA氏も私の妄想内にしか存在しない(と思うけど、いちおうググった。なかった)ので、真面目に読んで怒らないでほしい。私はごみをごみ箱に捨てます。

生命や信条にかかわる範囲で「この人とは考えが違う」と思う場合や「明確で重大な嘘がある」と判断した場合、そもそも私は原稿を引き受けない。しかしそのときは「生命や信条にかかわる話でもないし、なぜその人がそう思うのか興味がある。実際に取材して、もう少しくわしく聞いてみたい」と感じたので、受けた。

ちなみにインタビューでお話しされたことをそのまま書いても、もちろん原稿にはならない。編集が必要だ。つまり一度自分のなかで咀嚼し、構成し、その人の言葉として出力するということである。

引き受けた以上はA氏の言葉を「私」の一人称でまとめなければいけない。「私は、ごみをごみ箱に捨てなくてもいいと考えます」と、他ならぬ自分の指で打つのだ。頭でいくら「この『私』は、私ではなくてA氏である」と言い聞かせたとしても、ちょっとは抵抗があった。だから、少なくともライターの私が納得できるくらいの(「これはこれで筋が通っている」と思えるだけの)材料を、インタビューや、インタビュー後のリサーチでしこたま集めてきた。

ごみをごみ箱に捨てないほうがいい理屈やエピソードが、奇跡的に集まり(ほんとうに?)、私は原稿を書き上げた。A氏からも編集者からもお褒めの言葉をいただき、発表後は読者からも「わかりやすい」「A氏の考えがよく理解できた」と(ほんとうに!)好評の声をいただいた。

このようにして仕事を終えたあと、私の胸には三つの考えがあった。

一つ、それでもやっぱり私は「ごみはごみ箱に捨てたほうがいい」と考えている、ということ。
一つ、書き終えた私は「ごみはごみ箱に捨てなくてもいい」と考えるその人のことを(共感ではなく)(頭で理解したのとも少し違って)そうか、あなたはそう思うのね、と受け入れられるようになったこと。
一つ、たった一瞬でも、自分とは違う他者の身体や脳、人生に触れた感覚によって、「想像できること」ではなく「想像できないこと」を受け止めるスペースが広がっていく、すなわち、自分そのものが拡張していくように感じたこと。

昨年のNHK大河ドラマ『光る君へ』には、主人公のまひろ(のちの紫式部)が代筆業をしている描写があった。その人の人となりや思いを聞き取り、恋心を伝える和歌を代わりに詠む仕事だ。

自分がいるのとは違う世界で生きる、さまざまな依頼人の人生を知り、想像し、想像できないことを知り、言葉を紡ぐ。

母の死と、その死の真相を隠した父への不信感から、この世が信じられないまひろは「代筆仕事は私が私でいられる場所なのです」と言う。いろいろな人の気持ちになって歌を詠むことが自分を救っているのだと語る。

まひろがそうだったのかはわからないが、他者の言葉を代わりに紡ぎ、自分そのものが拡張していくように思えたとき、私はふしぎと「自由」を感じる。

世界は広く、人の心は深く、理解できないことだらけで、それが楽しい。代筆業、今年もがんばります。

文/塚田 智恵美

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