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私の「普通」はどこにある? ヘラルボニーの記者会見で浮かんだひとつの問い

毎朝クローゼットの前に立ち、その日会う人と行く場所を思い浮かべる。1月29日の朝も同じだった。手に取ったのは白いワンピース。昨年、ヘラルボニーで購入したものだ。

障害のある作家とライセンス契約を結び、作品をファッションや空間デザインに展開している企業、ヘラルボニー。同社のメディア向け発表会に出席予定だったので、せっかくなら、と思ったのだ。

白いワンピースには、黒い線で描かれた幾何学模様が入っている。その個性的な模様が「つながった文字」だと知ったのは購入後だったが、不思議と上品さがあって着る場所を選ばない。アラフィフでも安心して着られるシルエットも気に入っている。

だけど、メディア関係者が集まる場に、このふわりとした白いワンピースは「場違い」だろうか。迷った末、無地の黒いセーターに着替えて家を出た。こういうとき、私はたいてい無難なほうを選ぶ。

代官山蔦屋書店のイベント会場に入ると、黒いドット柄が目に飛び込んできた。ヘラルボニーの契約作家、佐々木早苗さんの作品だ。

ボールペンで幾重にも重ねたという黒い丸は、この日発売されるビジネス誌Forbes JAPAN別冊『ヘラルボニー現象 普通はどこだ、答えはここだ!』の表紙に採用されている。だからだろうか、会場のあちこちにそのドットが散らばっているように見えた。壁に貼られたポスターだけではない。会場にいる多くの人が、彼女の作品を取り入れたシャツやスカーフを身にまとっていたからだ。

取材席につくと、ステージの奥のほうに作家の浅野春香さんと中尾涼さん、その隣にヘラルボニー社長の松田崇弥さんの姿が見えた。そこから時折、言葉にならない声が聞こえてくる。思わず身体がびくりと反応したが、どうやら中尾さんが発しているようだ。声が聞こえるたびに、反射的に目だけがそちらへ向く。顔を向けてじっと見ないのは、「私は障害のある人を特別視しませんよ」「差別しませんよ」というポーズのようだなと自分でも思う。その振る舞いは、いつから身についたものなんだろう。

私のそんな「ポーズ」にガツンと一撃を加えてきたのが、Forbes JAPAN編集長の藤吉雅春さんが語った『ヘラルボニー現象』の編集方針だった。藤吉さんは、編集部員に「絶対に寄り添うな。戦場ジャーナリストの視点で描け」と伝えて制作を進めたという。ヘラルボニーが障害のある作家とともに起こしてきたムーブメントを、美談にしない。特別視もしない。あくまでもフラットに、社会や経済に影響を与えてきた存在として捉えること。

それは、「差別していない側」にいるつもりの私に、向けられた言葉のようにも思えた。

ほどなくトークセッションの時間になり、5人の登壇者が壇上に姿を現した。

作家の浅野春香さんと中尾涼さん、中尾さんが所属する「やまなみ工房」施設長の山下完和さん、そして藤吉さんと松田さんだ。直接作家本人の声を聞ける機会は多くない。だから私はこの時間をとても楽しみにしていた。

作家になってからの周囲の変化など、司会役の藤吉さんが問いかけていく。

浅野さんは、ヘラルボニー主催のアートアワードの受賞者だ。受賞作のタイトルは「ヒョウカ」。純粋に評価されたい気持ちからつけたという。

評価を得て、イベント登壇や企業とのコラボレーションなど、生活は大きく動いただろう。それでも浅野さんにとって絵を描くことは日常生活の一部であり、「好き」な気持ちは変わらない。受賞はゴールではなく、「最終目標はメトロポリタン美術館に展示されること」と迷いなく答える。評価を求めつつも、評価で揺らぐことはない。その姿勢にはっとさせられた。

一方、中尾さんへの質問では、言葉で伝えることのできない中尾さんに代わり、山下さんが表情を確かめながら、丁寧に言葉を選んで応じていた。「中尾さんはこうだ」と代弁するのではなく、あくまでも山下さん自身がどう感じているか。その主語の置き方から、ひとりの作家として向き合っていることが伝わってきた。

それにしても、ヘラルボニーのアートを身につけた登壇者たちは、なんてカラフルで素敵なのだろう。中尾さんは、自分の作品が描かれたスカーフとジャケットを堂々と着こなしている。私たちの前に立つその姿をまぶしく感じるのは、きっと服の色彩のせいだけじゃない。

ふと視線を自分たちのいるほうへ戻すと、見事に真っ黒なことに気づく。ほとんどのメディア関係者が黒いスーツ姿なのだ。このカラフルな空間にいると、なんだか私たちが異質な存在のような、「普通じゃない」気さえしてきた。

混乱する。白いワンピースが場違いだと思って、黒いセーターを着てきたのに。

こういう場では黒い服が無難。
アラフィフは体の線を隠したほうがいい。
障害のある人をじっと見るのは失礼。
障害のある人について書くなら「寄り添った」記事を。
評価されたら創作への向き合い方は変わるはず。

この1時間の間に、私が「常識」や「普通」だと思い込んでいたものが、じわじわとあぶり出されていった。私は一体、誰の目を気にして、誰に許可を取っていたのだろう。人と違うことを、なぜそんなにも恐れるのか。そもそも、私にとっての「普通」とは何なのか。

問いを抱えたまま帰宅し、寝室のベッドに腰掛けた。目の前のクローゼットをぼんやりと眺める。ヘラルボニーの白いワンピースが、ブランドも値段も色もばらばらの服と並んでいる。どれもお気に入りばかりだ。

ヘラルボニーが目指す「“ちがい”を尊重し、認め合う世界」とは、きっとどこか遠くにある理想郷のことではない。目の前にあるクローゼットのように、系統もルールも異なるものが、否定されることなくひとつの空間に共存していること。そのありのままの状態を「いい」と思えること。

その感覚のなかに、この日受け取った問いへの答えがある気がして、しばらく眺めていた。

文/高山 しのぶ

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