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預かったり預けられたり【さとゆみの今日もコレカラ/第 253 回】

「俺、人を殺したことがあるんだよね」と言われたことがある。

光を感じて目を開けたら、彼は窓の外の細い雨を眺めていて「ごめん、起こ した?」と聞いた。時計を見たら朝の5時過ぎだった。「大丈夫。何か飲む?」と体を起こそうとしたら、その人は首を横に振った。そして、私の髪の毛を撫でながら、「俺、人を殺したことがあるんだよね」と、小さな声で言った。村上春樹の小説かよ、と思った。

その人はボクサーだった。プロではなくアマチュアで、なんとか級で日本ランキング3位だと言っていた。「高校時代に、すごくセンスのいい後輩がボクシング部に入部してきて」。彼はささやくように話す。

やる気もあって可愛げもあって、練習熱心だった。ことさら目をかけて、部員たちが練習を終えた後も、二人で居残り、トレーニングすることがよくあったという。家の方向が同じだったので、帰りもよく一緒に自転車で帰った。

その日も、彼らは部員のいない時間帯に2人だけでスパーリングをしていた。その最中に、彼のストレートが綺麗に決まってしまったシーンがあった。後輩はよろめいてダウンし、その日の練習はそこで終了にした。

帰り道は小雨が降っていた。いつものように自転車を並べて川沿いの道を走っていた時、後輩が「頭が痛いです」と言うから、「念のため病院に行ったほうがいい」と伝えた。そうします、と言ったちょっと後、後輩の自転車がふらふらっと揺れたかと思うと土手のほうに消えていった。えっ? と振り返った時にはもう、自転車ごと川に落ちていたそうだ。そして、溺れて亡くなった。

警察に事情を聞かれた時、彼は、直前にスパーリングをしていたこと、自分の右ストレートが思い切り入ってしまったこと、頭が痛いと言っていたことを話さなかった。雨で道路も滑りやすかった。不注意による事故として処理された。

「どう考えても俺のヒットのせいだったと思うんだよね」と彼は言う。「今まで、親にも婚約者にも言えなかった」と話す彼の手が、私の髪をなでるのをやめたので、その顔を見たらマンガのようにつううううっと涙をこぼしていた。やれやれ、と思う。

墓場まで持っていこうと思っていた話なんだ、と言う。そうすればよかったのにと思ったけれど、私が墓場的な存在なのかもしれないな、と思い直す。王様の耳はロバの耳。

仕方がないので、今度は私が彼の頭を撫でた。私のクセ毛と違ってサラサラだ。次の全日本選手権を最後に、引退しようと思ってと言う。ときどきボクシングが怖くなる。自分が殴られるのは怖くない。あの時のように渾身の一撃が致命的に決まってしまうことが怖い。最近、小雨が降るとフラッシュバックするんだ。ぽつりぽつり話す。

それは殺人とは言えないとか、あなたのせいではないとか、いろんな言葉が浮かんだけれど、そんなことはもう何度も自分に言い聞かせてきただろう。話せてよかった? とだけ聞いたら、うん、よかったと言った。もう泣き終わったようだ。それはよかった。

別れ際、引退試合、見に来てくれない? と言われた。うーん、時間が作れたらね、と答えた。婚約者はこないのかと聞こうと思ってやめた。その存在は今日初めて知ったけれど、問題はそこじゃなかったし。

彼と会ったのは、それが最後だ。デートでよく使った店にもそれ以降は行っていない。何度か着信があった。嫌いになったわけではない。逆だ。自分がこういうタイプに弱いことを知っていたからだ。多分、ずぶずぶいってしまう。そして、それは彼も同じだろう。これまで言えなかった記憶を語った相手に対して、人はそれまでと同じようには付き合えないだろうと思った。問題は、私といると彼はきっとその話を何度も思い出すということだ。人は、一度知ると知る前には戻れない。知ることはいつも一方通行である。その後、婚約者と別れたらしいことは、風の噂で聞いた。

『怪物と出会った日 井上尚弥と闘うということ』を読んだ。

昨年口コミで爆発的に広がったノンフィクションだ。そこには、井上尚弥に敗れた人たちの物語が描かれている。中に、誰にも言えなかった悩みを彼女に打ち明けたボクサーの話が出てきた。そして、二人は何時間も話し合って、井上尚弥戦に選手生命と文字通りその後の人生を賭ける決断をする。二人は、試合に負けて勝負に勝った。いまは夫婦である。

インタビュアーが聞かなければ、世に出なかった話であろう。人に見える物語なんて氷山の一角で、いろんな人がいろんな想いを抱えて生きている。

本を読んだあと、この本の中に出てくる女性のように、あの時、引退試合を    見に行く方を選んだとしたら、と想像してみた。何のイメージもわかなかった。あの日分岐した私たちの道はもう、見えないくらい遠く離れている。ただ、彼があの日語った話によって、私の体のどこかの扉が無理矢理こじあけられた。その後、私はそれこそ村上春樹的な不思議な体験を次々とするようになる(いつか書きたい)。

扉をこじ開けた人はもういないのだけれど、その話はずっと私の体の中に残っていて、長い年月、私に作用し続けている。

話を聞くということは、その人の人生を自分の体のどこかに取り込むということなのだ。

もう名前も忘れちゃったそのボクサーの物語は、別れたあとも私の体の中でゆっくりとじくじく育っている。ノンフィクションを書く、そのために話を聞くというのも、そういうことなのかもしれない。ところどころに、筆者が「何かを預かった」気持ちになるシーンが描かれている。もちろん文章の書き手だけじゃなくて、そうやってみんな、誰かの物語を預けたり預かったりしてからまりながら生きているんだよなー、なんて思う。

『怪物と出会った日 井上尚弥と闘うということ』

めちゃくちゃ面白いです。

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その時、なぜか背筋にぞくっとした冷たさを覚えると同時に、もうひとつの仮説が頭に浮かんでしまった。

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