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プリンスの瞳に宿るのは、無邪気か、狂気か? 映画『PRINCE BEAUTIFUL STRANGE』

今さら、説明不要のアーティストだ。

数々のヒットソングと共に、その稀有なスタイルで圧倒的な知名度を誇る「PRINCE」、彼のドキュメンタリー映画を観た。ちなみに、プリンスは彼の本名で、プリンス・ロジャーズ・ネルソンという。

6月7日から公開になったこの映画、狙ったのか、その日はプリンスの誕生日だったそうだ。公開日翌日ということもあり満席で、最前列、スクリーンを見上げる形での鑑賞となった。まあでも、殿下は見上げるくらいがちょうどいい、そう思いながら席に着いた。

まず、彼が没してすでに8年の歳月が経過していることに驚く。当時、プリンスはまだ57歳の若さだったことや、「フェンタニル(モルヒネやヘロイン以上の鎮痛効果があるとされる薬物)」の過剰摂取が原因と発表になったことで、その死は多くの憶測を呼んだ。僕もとても驚いて、すぐSNSにその時の感情を書き込んだことを覚えている。

「高校時代、狂ったように聞きまくった彼の音楽。一度でいいから、ライブ行きたかった。このニュースは本当にショック。kiss、Now、リトルレッドコルベット…。」2016年4月22日、原文ママ。

書き込みにもある様に、ずっと好きなアーティストだったにも関わらず、結局一度も彼のライブを体験することができなかった。

そのため、今回この映画に、実は少しだけライブ映画的な要素も期待していた。ライブの擬似体験を、音響の良い映画館で味わえるのではないか、そんなスケベ心があったのだ。が、そのことに関しては、完全な空振りに終わることになる。この映画は、彼に近しいアーティストやその関係者、友人たちのインタビュー証言による完全ドキュメンタリー映画だ。そもそも68分と短い本編中に、ライブ映像を含んだ箇所は、ほんの一握りに過ぎない。この映画に、今さらプリンスの楽曲を散りばめる意味などないと判断されたのであろう。そういったエンタメ要素は極限まで削られている。

では、代わりに、この映画で、僕は何を観て、何を理解したのか。

それは、シャイで客席を見ることもできない、プリンス少年だ。そして、ずっとプリンスを演じ続けたプリンス・ロジャーズ・ネルソンだ。

徹底した秘密主義を貫いたプリンスは、私生活など多くの謎に包まれている。この映画では、少年時代の同級生や従兄弟など、プリンスの素顔を知る関係者からの証言も多く、幼少期から晩年に至るまで、それらの謎に迫ることができる内容だ。プリンス本人の証言は、ほぼない。周りの証言だけを頼りに、視聴者それぞれが、自分自身で「プリンスとは」の答え探しをするゲーム。きっと観た人それぞれに、違ったプリンス像が浮かび上がることだろう。しかし残念なことに、最後に完璧な正解が用意されているわけではない。僕は、ミステリー映画のようだ、そう思った。

謎を紐解くキーワードは、やはり「ミネアポリス」にあるのではないか。この映画でも、度々登場する単語のひとつだ。

アメリカ北部に位置するミネソタ州、ミシシッピ川の上流にある都市がミネアポリス。プリンスはそこで生まれ育ち、最期もその街で亡くなっている。

映画は終始この街を舞台に展開し、プリンスの生涯が常にミネアポリスと一体であったことを意味している。音楽ファンなら、ミネアポリスの街名を聞いたことがあるかもしれない。プリンスを中心としたこの街の出身者や、彼と志を共にしたミュージシャンたちによって奏でられた音楽が、ミネアポリスサウンドと呼ばれ、当時、そしてその後のミュージックシーンに大きな影響を及ぼすことになる。特にエレクトロやテクノにとっては、次の20年を牽引した、とまで評されるほど、数々の輝かしいヒットソングが、次々と生み出された。

ミネアポリスは、アメリカ国内で、まだまだ人種差別が色濃く残る1960年代後半から、早くも白人至上主義を廃し、公民権運動が盛んだった街。そこに作られたのが、「THE WAY」と名付けられた黒人コミュニティセンターだ。そこでは、スポーツや音楽、さらには歴史や文化に至るまで、あらゆるものを学ぶことができた。ボランティアの大人たちから専門的なレッスンを受けることができ、無料だったという。プリンスは12歳からそこに通い始め、多くの種類の楽器を、プロミュージシャンから教わることができた。後に、20種類以上にもおよぶ楽器奏者と言われるプリンスの原点は、ここにあったに違いない。

プリンスは音楽商業的に成功後、ペイズリーパークを設立する。場所はミネアポリス郊外。そこは、プリンスの音楽スタジオであり、住居であり、ライブ会場であった。

ミネアポリスは一番近くの大都市シカゴまでも、飛行機で2時間ほど要する孤立した都市で、決して利便性が良いわけではない。カナダに近く、冬は極寒の場所だ。なぜ彼は、世界的な大成功を収めた後に、ペイズリーパークをこの地に作ったのだろうか。

晩年には、ペイズリーパークでは、プリンスを愛するファン、またはプリンスに気に入られた人々が招かれ、パーティが開かれていたという。アルコールは一切なし、撮影も禁止された中、招かれた人々は夢見心地のナチュラルハイを楽しんだ逸話が残る。

僕の私見だが、これはプリンスなりの、地元ミネアポリスに対する恩返しであり、「THE WAY」の延長線上に当たるコミュニティだったのではないだろうか。そう考えると、ペイズリーパークをミネアポリスに建てたことにも、納得がいく。

天才であり、奇人であり、狂人であり、変人である。プリンスを表現する際についてまわるこれらを、映画を観終わった僕は、はっきりと否定することができる。もし仮に、唯一当てはまるとしたら、天才、だけだ。ただし、そこにも僕なりの注釈が付く。それは「天才とは、自分の好きなことに、時間を忘れて没頭できる才能を指す」ことだ。プリンスは、12時間のバンド練習を終えた後、スタジオに残ってさらに1人で楽器練習に打ち込んでいたという。

それ以外の要素は、プリンス・ロジャーズ・ネルソンが作りあげ、演じ続けられたキャラクターだったのではないだろうか。少年時代の、照れ屋でアンプから目を離さずに演奏していた逸話からは、その後、ステージ上で半裸になったりディープキスをしたりなどの奇行や狂気を、どうしても結びつけることができないのだ。

映画の中で語られるエピソードのひとつに、プリンスはモノマネが上手く、ある大物アーティストの声色を使い、電話先の相手を完全に信じ込ませてしまった、というくだりがある(非常に面白いエピソードだった。誰をマネて誰を何のために騙したのか、本編のお楽しみ)。このことから、僕はもともとプリンスは、他の人物になりきる術に長けていたのでないか、と仮説を立てた。プリンスは「奇人狂人変人プリンス」を演じることによって、自らの無邪気なシャイボーイを隠し続けていたのではないか。そのためにも、プリンスは天才であり続ける必要があった。ただの変人では誰からも見向きもされない。天才ゆえにそれらの奇行も許されるのだ、という世間からの評価を維持する必要があったのではないか。だからこと音楽に関しては、厳しい完璧主義を貫く必要があったのだ、と推測した。

これは、曲ごとに全く違うキャラクターが歌っているように感じられる、プリンスの変幻自在な音楽性にも通じる仮説であると思う。

僕は完璧に演じられたプリンスとその音楽に、ただ酔っていたに過ぎない、そう思いむしろ清々しい気分になった。

ここまで書いて、この文章を締めようと思っていた僕は、ふと、映画館でもらったポストカードのプリンスと目が合った。風船ガムを膨らませながら、こちらを見つめる瞳。

その時、なぜか背筋にぞくっとした冷たさを覚えると同時に、もうひとつの仮説が頭に浮かんでしまった。

それは。
もし、演じられていたのが、シャイボーイのプリンス少年の方だったとしたら。

プリンス少年は、今後の自分の輝かしい人生を何もかも予想して、いつか作られるであろう「プリンスの素顔に迫るドキュメンタリー映画」のために、幼少期、あえてうぶな姿を演じていた、のだとしたら。

いやいや、ないない。
笑ってみたが、プリンスに限っては完全に否定することなどできない僕がいる。
すべて見透かされている、そんな瞳から、僕は数秒、目を逸らすことができなかった。

文/渡辺 拓朗

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