検索
SHARE

写真が撮れなくても旅行に行くか【さとゆみの今日もコレカラ/第279回】

コロナ禍のことだったと思う。何かの本で、こんな問いに出会ったことがある。

「旅行中、写真撮影もビデオ撮影もできないとわかっていたら、あなたはその旅行に行くだろうか」

これはだいぶ考えてしまう質問である。

写真を撮れないということは、その写真を投稿することもない。見返すこともない。

つまり、何かを経験するにあたって、経験そのものに価値を見出しているのか、経験を記録(or記憶)することに価値を見出しているのか、経験を共有する未来の時間も含めて価値を見出しているのか、のようなことが問われている。

そこまで考えて、でも、と思う。そういえば、昔の旅行はそうだったわけだよな。写真なんてなかった。それでも人は旅をした。その感動を伝えたいと思ったから、人は旅先から手紙を書き、土佐日記を書き残したわけだ。

では、と、もう少し思考を進める。

たとえば、文章を書き終わったとき、その文章を自分が二度と読めないと知っていたら、それでも私は(あなたは)書くだろうか。

文章を書く前に、この文章は誰にも読まれないことが確定していますと言われたら、それでも私は(あなたは)書くだろうか。

これは写真のケースとはまた違った問いになる。

今日は、問いだけぽろりんちょ。

※この文章は毎朝7時に更新され24時間で消滅します。今日もコレカラよい一日を。

ーーーーーーーーーーーー

江戸の女子旅について仔細にまとめた1冊。旅のメンバー構成は?1日どれくらい歩くの?行き先は?どんなコースを何日くらいで回るの?費用はどれくらいかかるの?旅先では何をするの?危険はなかったの?

writer