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お金がいらない社会でこころが満たされるのはなぜ?『こころのウェルビーングのためにいますぐ、できること』

お金が大好きで、お金をモチベーションに生きてきた節がある。

小学生のときは毎月1日のお小遣い日を、ソワソワしながら待ち侘びていた。もらったら大事に貯金箱に入れる。そのときの音もいい。あると安心、お金さん。欲しいものを見つけたら、貯めたお金を確認する。ときめく瞬間。モノと交換できるって、すごいな。お小遣いをもらえる日は早く起きて、出勤前の父が500円玉をくれるまでまとわりついていた。「みっともない。」と母にたしなめられても、お構いなし。

大人になった今だって、お金は大好きだ。憧れの一人暮らしを実現できたのも、海外を旅できるのも、お金というツールがあればこそ。正社員として働いていたときは、昇給を目標に仕事をしていた。頑張って、欲しいものを手に入れて、また頑張る。ああ素晴らしき、循環よ。

自分の得意なことで手軽に収益が得られるようになった昨今。モノだけでなく、知識や経験すら販売できる。つい先日、たまたま手に取った女性ファッション誌を開いたら、購入品をSNSに投稿するだけでキャッシュバックを得られるサービスが紹介されていた。テクノロジーの進化は止まらない。お金を稼ぐことがバイト先や会社に行くこととほぼ同義だった時代は、とうに過ぎ去った。

誰しもが効率よくキャッシュを得られるチャンスがある、いい世の中になったと思う。その一方で、いつからか、趣味をキャッシュ化していない自分に焦りを感じるようになった。だから、好きな映画鑑賞も料理も、心から楽しめない。お金を稼いでない時間は無駄なんだろうか。やっぱり世の中、稼ぐが勝ちなんだろうか。あるに越したことはないお金。だけど、お金に踊らされている気もする。

そんな折、giv(ギブ)という非貨幣社会の設立者であり、本書の著者である西山さんと、たまたま職場で出会った。それがきっかけで、前時代的でありながら近未来的である、お金を介さない社会に足を踏み入れ、2年以上経つ。私はそこで、自分のスキルを無償で提供している。活動を続けていくなかで、お金に換算することでは得られない価値があることを知った。

givは自分の好きなこと、得意なことを無償で誰かに贈り、贈られた人はさらに他の人に、自分の好きなことや得意なことを贈りつなげていく仕組みで成り立っている。デジタル上のプラットフォームで、「価値を贈って感謝で繋がる豊かな社会」をコンセプトに”恩送り”をする。交換ではないから二者間で閉ざされて完結することはない。だから理論的には、永久に感謝のバトンリレーが続いていくことになる。

西山さんは、企業が持つ資産や商品・サービスを金銭的価値として数値化し、多くの企業の成長戦略や実行支援に携わってきた方だ。数字の世界にどっぷり浸かり、経済的、物質的に豊かになった一方、世の中には数値化できない価値が溢れていることに気づき、葛藤を抱えていたそうだ。こころの豊かさを感じられる社会をつくるべくgivを設立。現在、約300名が参加し、地方自治体との連携も少しずつ増えている。

私は本書を、givでの活動を通じて実感したことの答え合わせをするつもりで読んだ。

givではまず、贈り手(giver)と受け手(givee)がペアを組む。giverは好きなことや得意なことを、givとしてgiveeに贈る。giveeは翌日までにサンクスカードを記入し、アプリに写真と共に投稿する。全てのgivはアプリ内で見える化されている。

私のgivはカラーセラピーだ。カラーセラピストの資格はそれなりのお金を払って取得したし、本業以外の収入源にしようと思っていた。正直、無償で提供することにまったく抵抗がなかったわけではないけれど、それ以上に非貨幣社会への好奇心が勝った。そしていざ、ペアが成立し、giverとしてカラーセラピーを贈ってみるとびっくり。驚きの連続だった。

お金を頂戴しないのに、感謝の気持ちがとめどなく湧き上がってくる。見返りを求めようとも思わない。こころが満たされ、清々しい。この感覚、クセになる。お金を介さないとは、一体どういうことなんだろう。何が起きているんだろう。不思議に思っていたけれど、本の中に答えがあった。

お金を介さない場合と介す場合では、感謝の方向が変わるらしい。

お金を介す場合、たとえばお店でモノを購入するとき、感謝を述べるのは店員だ。提供した側が受け取った側にありがとうございました、と言う。数あるたくさんのお店の中から自分のお店を選んでもらったこと、そして対価としてお金を支払ってもらうことの有り難みが、感謝の形として現れる。

一方、お金を介さない場合は、感謝の矢印が逆転する。無償で何かを受け取ると、受け手が感謝を述べる。通常であればお金を支払うところを、無償でしてもらえたことに対する有り難みが、感謝の気持ちとして現れる。たしかに、givすると、ありがとうのシャワーをじゃんじゃん浴びられる。善いことしたなあと、ほんわかした気分になれるのだ。

不思議に思われるかもしれないが、お金を頂かなくてもモチベーションは下がらない。タダだからこれぐらいでいいなんて、これっぽちも思わないのだ。「無料だからって絶対に手は抜きません」とは、美容系のgivを贈ってくださった方のお言葉で、私も首を大きく縦に振った。だけど何がそうさせるのか。これまでその根拠が分からなかったけれど、本の中で、答えを見つけた。

givは、贈り手が思う存分自己表現できる場として機能している。

無償で何かを提供する場合、自分が持つ資産や時間を減らして行うものと考えがちだ。いわゆる自己犠牲。求められるがままに提供すれば、対価としてお金が欲しくなって当然。だけど、贈り手が自分をすり減らすことなく楽しめると、それは自己表現につながる。

givは、自分が負担にならない範囲で贈ればいいとされている。そのタイミングで快く受け取ってくれる人にのみ贈る。だから贈り手は疲弊することなく、最高のパフォーマンスを提供することに注力できるのだ。自分の好きなことや得意なことを、思う存分提供できるとなると、人は一気に輝き出す。しかも贈る行為を通して、自分の可能性を広げ、新たな気づきが得られるため、スキルに磨きがかかる。受け取ってくれてありがとうという気持ちになり、二者間で感謝の言葉が何度も往復する。お役に立てて嬉しくなって、自己を肯定する気持ちも強まっていく。

お金が間に挟まると、受け手であるお客さまがどうしても優位な立場になるため、自分を思い切り解放することが難しくなる。お金のあるなしで、ここまで人の心理が変化するなんて、全く想像もしていなかった。

もちろん、お金は現代社会において必要不可欠だ。本書は資本主義を全否定しているわけでも、社会主義への転換を提示しているわけでもない。ただ、貨幣経済に非貨幣経済のエッセンスを加えることで、より優しい社会ができるのではないかと提言している。

givに参加していなくても、givの精神である恩送りは、日常のシーンで見かけることができる。たとえばお裾分け。実家に住んでいたとき、たくさん作ったからどうぞ、とお隣さんにパンをいただいたことがある。有り難く頂戴し、美味しくいただいた。自分の好きなことを、喜んでくれそうな人に、見返りを求めず無償で提供する。お裾分けはgivそのものだ。

本を読み、気持ちを改めたことがある。それは、もらえるときは有り難く頂戴しようということ。いくら自分が何かを贈りたくても、相手がいないと成立しない。人って実は与えたがりで、受け取ってくれる相手を探しているもの。これはgivの活動を通して、私自身が実感している。だから、いただくチャンスがあれば堂々と受け取っていい。もらうという行為を通じて、実は贈り手に成長の機会を与えている。これは真実だ。

今の世の中、スキルは簡単にお金にできる。けれども、マネタイズしないからこそ得られる豊かさがあることを知っていて損はない。貨幣経済と非貨幣経済の二項対立で白黒つけるのではなく、あっちに行ったりこっちに来たり。グラデーションが、きっと心地よい。

文/大塚 吏恵

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