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あなたと話したくて、出雲経由、六甲行きの旅に出た【会いたいから食べるのだ/第4回】

「七ちゃんと一緒にいると、つい話しすぎちゃう」

私に会った友だちは、誰もが一度か二度はこう言う。そして「七ちゃんの話も聞きたいよ~!」と少し困った笑顔で続ける。Nちゃんもそのひとりだった。

Nちゃんは関西を中心に全国の美味しいスイーツを発掘し、Instagramで発信している女性だ。Nちゃんの写真はいつでも、スイーツの魅力が最も伝わる瞬間がばっちり切り取られている。投稿文も写真だけでは伝わらない美味しさがユーモアたっぷりに書かれていて、読むだけで笑いとよだれが出る。

Nちゃんはスイーツ愛が深いのはもちろん、投稿を見るフォロワーへの心遣いや、信念をもってスイーツを作るお店への敬意にも溢れている。だからNちゃんの周りには、スイーツを愛する人々の温かな繋がりがどんどん生まれる。私も何度「Nさんの投稿を見て来ました」とお店の人に伝えただろうか。お店の人は「そういうお客さまがとても多いんです」と嬉しそうに返してくれる。

いつか自分が書いた文章で人の心を動かせたらと願う私にとって、唯一無二の表現で多くの人を幸せにしているNちゃんは、眩しくてたまらない人だった。一方、私は目の前の大切な人に自分の気持ちを伝えられず、逃げてばかりの情けない人だった。

Nちゃん本人に初めて会ったのは、もう3年前になる。幸運なことに共通の友だちがいて、3人で京都のカフェに行けることになったのだ。

その日、私たち3人はたくさんおしゃべりした。正確に言うと、Nちゃんたちが尊敬するパティシエや好きなスイーツの話を楽しそうにしてくれるのを、私は「うんうん」と笑いながら聞いていた。私自身の話をすることは、ほとんどなかった。

とはいえ、2人とも気配りの人だから「七ちゃんは何が好き?」などと話を振ってくれる。すると、私の目線は2人の顔から逸れて、テーブルに置かれた飲みかけのグラスや床のシミに落ちてゆく。

「うーん、どうだろう」

意味のない言葉を口ごもりながら、私は頭の中で必死に「正解」を探す。スイーツに詳しいNちゃんたちのセンスにぴたりとはまり、「わかるわかる」と共感してもらえる正解を。ただし、共感してもらえなくて傷つくのを避けるために、自分の本当に大切な記憶や気持ちから、少しだけピントをずらす。

自分のカフェ遍歴の中から「これなら伝えても大丈夫かも」と思える「2軍」以下のエピソードが浮かんだら、恐る恐る話す。運悪く何も浮かばなければ「そうだなぁ」とはぐらかす。そして、どちらのパターンにせよ、すぐさま質問返しをする。

「いやぁ、考えるの難しいなぁ。あっ、2人は今度行ってみたいカフェある?」

もちろんNちゃんたちは私の質問に優しく答えてくれるから、私は相槌を打つだけの聞き役に戻る。自分の考えや気持ちを伝えることを回避できて、内心ほっとしながら。

「私ばっかり話しすぎちゃったねぇ。今度は七ちゃんの話もいっぱい聞きたいよ〜!」

3年前のその日の夕方、Nちゃんと2人きりになった阪急電車の中で、Nちゃんが申し訳なさそうに微笑んだ。私は「そんなことないよ! 楽しかったねぇ」と誤魔化すので精一杯だった。「自分の本当に大切な気持ちを伝えるのが怖くて」とは、決して言えなかった。

***

大切な気持ちを、大切な人に伝えられない。

自分だけが書ける文章を書き、人の心に届けたいと願う私にとって、それは致命的に思えた。書く云々の前に、この世界で人と生きるゆたかさからも全速力で逃げている気がした。

そんな私が変わるきっかけをくれたのは「出雲」だった。

今年の夏から、毎週のように日本のどこかをひとり旅している。

「憧れの人がやっているから」「周りに言われたから」という他人軸で生きず、自分が心からやりたいことをやろう。この夏にそう決意したとき、行きたい場所にもどんどん行こうと思ったのだ。そして頭にぽんと浮かんだのが出雲だった。

初めて訪れた出雲は、空気が鈍い銀色の光をまとっていた。出雲にいると、たとえ炎天下で滝のように汗をかいて歩いていても、心はしんと落ち着いた状態になる。この神聖な光のおかげだろうと思う。

特に好きな時間は、明け方だった。うっすらと空が明るくなった朝5時に宿をそっと出て、まだカラスしかいない出雲大社の鳥居の横を通りすぎる。神在月(旧暦10月)に八百万の神様が降り立つという稲佐の浜をめざし「神迎の道」を歩く。ふと空を見上げると、銀色のベールがかかった淡いピンクの空を、白鷺のような雲がゆっくり羽ばたいた。道沿いの民家の人々を起こさないように注意しながら、私は「すっごいや」とつぶやく。

出雲のどんな風景も、母のお腹に宿るずっと前から私の魂を銀色の光で包み込み、守ってくれていたと思えてならない。「魂のふるさと」と呼べるほど、出雲は大切な場所になった。

初めての出雲から帰ったら、Nちゃんとの関係にも初めての瞬間がたくさん訪れた。「絶対に乗り越えられない」と決めつけていた壁には実は扉があって、ひょいと壁の向こうに行けた感覚だった。

「七ちゃん、出雲はどうだった?」

2人でランチをしているとき、Nちゃんが聞いてくれた。今までの私なら「そうだねぇ」と誤魔化して、すぐに別の話題を振っていただろう。でも、このときは何もためらわずに出雲の話ができた。ためらう暇もなかった、が正しい。興奮のあまり「ほんっとにすごかったの!!」ばかり言っていた覚えもあるけれど、自分の本音からずれた言葉はひとつも発しなかった。本当にやりたいことを実現できると自信がつくから、「言葉選びを誤るのでは」という恐怖に縛られることなく、感じたありのままを話せるのだろう。

出雲の話をまっすぐ伝えられた日から、Nちゃんと会うことが増えたように思う。少なくとも私は「断られたらどうしよう」とためらわずにNちゃんを誘えるようになった。

2人で美味しいものを食べながら、気ままにおしゃべりするのがとても幸せだ。カフェやスイーツの話もするけれど、私はひとり旅の話や泥臭くてかっこ悪い悩み話もするようになった。もちろんNちゃんからもたくさんの話を聞かせてもらう。スーパーボールすくいの練習を家でして、お祭り本番で最高114個すくった話や、会社帰りに毎晩「太鼓の達人」を叩いていた話……。そんな思い出話で大笑いすることもあれば、「実は私もね」と今の悩みや苦労を打ち明けてくれることもある。いつも前向きで愚痴を言わないNちゃんの、凛としつつも少しだけ寂しそうな横顔が忘れられない。

私、これまでたくさんNちゃんに質問してきたのに、Nちゃんの芯の部分は全然知らなかったんだな、とわかった。自分の「大切」に自信をもち、相手に伝えられないならば、相手の「大切」を見せてもらうこともできない。自分で自分を信じられないのに、どうして相手に信じてもらえるというのだろう。

***

ところで、出雲を旅するちょうど1か月前にも、大切な場所との出会いがあった。兵庫の六甲にあるカフェ「星とトランペット」だ。当時、私の周りでは行ったことのある人がまだ少なく、Googleマップで偶然見つけた。

そのカフェは、神戸大学へ向かう坂道に面したアパートにあった。梅雨の晴れ間の日曜日、開店時間の少し前に着き、アパートの入り口に植えられた木の木陰で涼ませてもらう。ちらっとスマホの時計に目をやると、11時59分。もう間もなく開店だ。良いカフェだといいなと、胸が早鐘を打つ。そのときだった。

「カーン、カーン、カーン」

突然、高い音が鳴り響いた。最初は何かのサイレンなのかと思ったが、じきに道向かいの教会の鐘だと気づいた。鐘が鳴る回数が増えるにつれ、六甲の町全体が清らかな音に浸されてゆく。

カフェの扉が開き、白いエプロンの女性が出てきた。「いらっしゃいませ、中でお待ちくださいね」とはにかみながら、黄色のやかんがぶら下がった看板を歩道の脇に置きにいく。思った以上にこぢんまりとした店内に入るとすぐに鐘の音がやみ、店内が静けさに満たされた。

鐘の音とともに始まるカフェ、なんて素敵なんだろう。この瞬間に立ち会えただけで、もう来た甲斐があったと素直に思う。それと同時に、こんなに美しい瞬間をひとりで味わっていることに寂しさも感じた。

「星とトランペット」のメニューには、ヴィーガンやグルテンフリーのスイーツが揃う。その日、私は「ジャスミンとアプリコットのチーズケーキ」を注文した。

チーズケーキを待つ間、出窓にあったエッセイを手に取り、雪への愛を紡いだ作品を読んだ。だからだろうか、アプリコットジャムがちょこんとのった白いチーズケーキが置かれたとき、まるで花に雪が降り積もっているように見えた。でも、とろんとしたジャムの甘酸っぱさが、今は確かに7月なのだと思い出させてくれる。チーズケーキは舌の温度で儚く溶けるなめらかな口当たりで、ジャスミンが優雅に香る。出しゃばらないけれど、記憶に残る美味しさだった。

「やらなければならないこと」でも「やりたくないこと」でもなく、「やりたいこと」だけをやり続けて幸せな生活を送る。これをひたすら実践し始めた時期とお店との出会いが重なったこともあり、「星とトランペット」は私にとって本当に大切な場所になった。夏から秋にかけて、ひとり旅の合間を縫ってほぼ毎週通っていたと思う。

***

10月末の休日、Nちゃんとあるイベントの待ち時間にカフェに行こうという話になった。場所も時間もちょうどよさそうだったから、いや、何よりもNちゃんと行きたいと心から思ったから「星とトランペット」にしませんかと伝えた。

Nちゃんをひたすら追っかけていた私は、Nちゃんとの出会いから3年後、自分の意志で行きたい場所へ行けるようになった。そしてようやく、自分の本当に大切な場所に彼女を誘えるようになったというわけだ。

大げさだと笑われるかもしれないけれど、私にとっては出会ったばかりの人や親しくない人を誘うよりも、よほど勇気が必要だった。それはきっと、心の距離が近づいた分、離れる未来を勝手に想像してしまうから。

でも、「やりたいこと」にフォーカスしていれば、どんな未来が訪れても怖くないと思えるようになったのだ。ちゃんとやりきることを続けると、自分の行動や言葉に迷わなくなり、後悔もしなくなる。そんな手応えを、出雲の旅を通じて掴めた。

もし心が離れたとしたら、それぞれの行きたい道が違う方向に伸びていっただけで、誰も悪くない。もちろん別れの悲しみはあるだろうけれど、その分、新しい喜びにどんどん出会える。相手を大好きな気持ちだけを残して、悲しみはいつか遠のくはずだ。

2人で六甲の坂道を上り、教会の鐘を聴く。大切な友だちが、私の大切なカフェで、何を注文しようかとニコニコしている。少し前に食べて衝撃を受けた「バナナブレッド」をNちゃんが注文してくれたから、思わず心の中でガッツポーズした。焼き目がついたバナナブレッドにピーナツバターとほんの少し振った岩塩がよく合い、しみじみと美味しいのだ。

私のスイーツと半分こしようとなり、Nちゃんがバナナブレッドを丁寧に切り分けてくれているとき、出窓から晩秋の柔らかい光がさっと差し込んだ。本当に数秒のことだったけれど、その光が隣で笑うNちゃんのしゅわしゅわとした光の粒と合わさる。「やりたいこと」をひとりきりで完結していたら決して出会えない、とても尊いシーンだった。

「七ちゃん、連れてきてくれて本当にありがとうね」

「こちらこそだよ~! 私、一生ひとりで来ると思ってたもん」

「えええ、なんで~」

「へへ」

その日は伝えられなかったから、今度会ったときに「大切な気持ちを話すのがずっと怖かったけれど、もう大丈夫」と伝えたい。

次は2人でどんな美しい瞬間を生み出せるだろう。

文/さなみ 七恵

星とトランペット
神戸市灘区篠原北町1-7-22トーヤマンション209

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