「元国税局ライター」の肩書きで唯一無二のキャリアを築く。ベストセラー連発の小林義崇さん
「元東京国税局職員」。名刺を受け取ると、四角い用紙の中でそのワードがひときわ異彩を放っている。自然と目が引き寄せられ、一度目にすると頭から離れない。
この肩書きの持ち主は『すみません、金利ってなんですか?』(サンマーク出版)を筆頭に、累計部数15万部以上の自著をもつ小林義崇さん。ライターとしても、著名人の書籍ライティングをはじめ、ウェブメディアや雑誌のインタビュー記事、コラムの執筆などを数多く手がけている。
「ライターとして独立するまでに3年かかった」と語る小林さんは、なぜ安定した公務員の職を手放し、フリーランスのライターになろうと思ったのか。そして、どのようにして依頼の絶えない人気ライターの地位を築いたのか。話を伺った。
聞き手/佐藤 友美(さとゆみ) 構成/山本 洋子
震災がきっかけで「文章を書く仕事」に憧れを抱くように
――小林さんとはブックライター(聞き書きで書籍を執筆するライター)塾でご一緒させていただきました。出会ったときは国税職員でいらしたけれど、今や、著者としてもライターとしても大活躍ですね。
小林:国税職員からライターに転身して6年目になりました。自著は共著と合わせて6冊出版しています。確定申告や節税など、6冊のうちほとんどがマネー系の本ですね。
雑誌やウェブメディアでも記事を書いており、そちらも税金や投資、保険といったお金周りの内容が中心です。
――今日はあらためて、国税職員からライターに転身されたときの話を伺いたいです。
小林:新卒で東京国税局の国税専門官に採用され、都内の税務署や国税局などに勤務していました。国税職員時代に担当していたのは、相続税調査や確定申告の相談対応などです。30歳が近づくころにはありがたいことに仕事の実績が評価され、いわゆる出世コースと呼ばれる道に乗っていました。
――国税局で出世コースって、どんな感じなのですか?
小林:全国11カ所ある国税局の下に税務署が置かれていて、採用後はまず税務署に配属されるのが一般的な流れです。そのあと、研修で好成績を収めたり仕事の成果を上げたりした者を中心に、選ばれた人たちが本店と呼ばれる国税局に配属されます。僕の場合は東京都の練馬西税務署と青梅税務署を経て、東京国税局に移りました。異動のきっかけとなったのが、とある脱税を発見したことです。相続税の調査中に7000万円ほどの隠し財産を見つけ、それが税務署内で表彰され出世に繋がりました。
職場の環境にも恵まれ、これといった不満もなく働いていたのですが、東日本大震災が起きたのをきっかけに「自分の働き方はこれでいいのかな?」と疑問を抱くようになって。
確か、東日本大震災が起きたのは金曜日だったと記憶しています。土・日を挟んで月曜日、最初はいつものように出勤するつもりでいました。でも、地震の影響で電車が止まっていて。そうなると自宅のある埼玉県から勤務先の大手町まで通うのに、かなりの時間がかかってしまいます。その日はとくに急ぎの仕事もなかったので、休みますと上司に電話しました。ところが翌日に職場へ行ったら、休んだのは僕だけだったと知ったんです。そのとき初めて「みんなは休まずに出社したけれど、そこまでして行く必要が本当にあったのか?」と強い違和感を覚えました。
――同調圧力のようなものを感じた?
小林:そうですね。震災以降、僕の中で組織に合わせて生きることへの違和感が消えなくなってしまいました。そのころから自分で何かをやってみたいと思うようになり、民間のビジネスコンテストに参加し始めます。僕はそこで公務員以外の世界を初めて知ったんです。国税職員には厳しい守秘義務があり、職場以外で仕事の話はできません。その影響で異業種の方たちと交流する機会がなかったので、自分の知らない世界で働く方たちと話をするのが刺激的で楽しくて。起業に興味をもち始めたこともあり、ビジネスコンテストの延長で新たにビジネススクールに通うようになりました。
そのビジネススクールの特長は「自分が本当にやりたいことは何か」を考えるカリキュラムがあったこと。過去を振り返るワークに取り組み、それをもとに周りの仲間とディスカッションをして、自分のやりたいことを探るというものです。そのワークを通して、ふと「文章を書くことを仕事にしたい」との思いが湧き上ってきたんですよね。昔から文章を読んだり書いたりすることが好きでしたから。
――そこからすぐにライターを目指したのですか?
小林:違うんです。当時は独学で小説を書いていたので、仲間からは「小説家になったら?」とよく言われていました。僕もそうできたらいいなと思ってはいたのですが、小説で食べていくイメージを全然もてなくて。それに当時、僕はもう結婚していて家庭があったし、安定した公務員を辞める勇気はありませんでした。
迷いの中で出合った運命の1冊。人生が大きく動き始めた
小林:やりたいことは見つかったけれど、何をしたらいいのか、どこに行ったらいいのかがわからない。そんなモヤモヤが続いたある日、書店でライター・上阪徹さんの著書『職業、ブックライター』を見つけました。気になって読んでみると、どうやらインタビューして本をつくる「ブックライター」という職業があるらしい。世の中にある文章って、小説家や新聞記者のような方たちが書いているイメージしかなかったので、そんな職業があるのかと衝撃を受けました。
同時に、自分が今までやってきたことにも繋がっていると思いました。国税職員として相続税調査を任されていたとき、相続人に対してヒアリングをおこなっていたんです。お金を稼いだ本人は亡くなっているので、ご家族にその方の生い立ちや人となりなどを細かく聞く必要がある。僕たちはそうした会話の中から財産に繋がるヒントを見つけていくのですが、話してもらうためには相続人に心を開いてもらわないといけません。
もちろん「財産を隠していませんか?」なんて相手にそのまま聞いてはダメ。「お生まれはどちらですか?」「引っ越したのはどのような経緯だったのでしょう?」などと聞き方にも工夫をして、相続人から話を聞き出します。ブックライティングではそうしたヒアリングの経験も生かせるなと思いました。
――確かにライターのインタビュー現場に近いですね。
小林:僕はどうしても本を読んだ感想を上阪さんに伝えたいと思い、思い切ってFacebook経由でメッセージを送ってみました。そうしたら上阪さんから返信が来て、新しくブックライター塾を開く予定だと教えてくださいました。これも何かの縁だと思い、入塾の申し込みをして、晴れて1期生として受講することになったのです。
実際に通ってみると、最初のうちは自信を失ってばかりでしたね。課題を出してもあまりいい評価をいただけなかったので。やっぱり自分には難しい世界なのかなと考えたのですが、最終課題だけは論理的に書けていると褒めていただき「もしかしたらまだライターになれる可能性があるのかもしれない」と思えるようになって。そうした希望をもちながら卒業できたのは、ライターを目指すうえでの大きな励みになりました。
――ブックライター塾に通っていた間は、フリーランスのライターになるイメージはなかった?
小林:ライターになりたいと考えつつ、たとえライターになれなくても国税職員の仕事にライティングを生かせるなと考えていました。やっぱり国税局を辞めて、フリーランスのライターとしてやっていくほどの自信がもてなくて。結局、ブックライター塾を卒業してから独立するまでに3年以上かかりましたね。
とくに卒塾後の最初の1年は、副業禁止の立場で何ができるのかがまったくわからない状態でした。そこでやってみようと思ったのが、税理士の資格を取ることです。ライターに転身していきなり家族を養うのは厳しいと考え、お守り的な意味で試験を受けてみようと。ただ、国税局を辞めてライターになろうとしているのに、また税金の資格を取ることに何の意味があるのかと考え始めちゃって。自分の中で違和感がどんどん大きくなってしまったこともあり、1年ほど勉強して最終的に税理士試験を受けるのは辞めました。
――何をしていいのかわからない状態からどう脱出したのでしょう?
小林:卒塾から2年目に、ブックライター塾の仲間で男だらけの飲み会「男塾」を開催したんです。上阪さんも参加してくださったので、今後どうするべきかを相談してみました。すると、上阪さんからブログでも書いてみたらとアドバイスをいただきまして。その言葉に「とりあえずやってみよう」と思い立ち、すぐにブログを開設して本やイベントの感想といった日記に近い内容の記事を書き始めました。
転機が訪れたのはブログを開設してから1カ月後のこと。ブックライター塾の同期に誘われてイベントに参加したところ、メディア運営をしている方と知り合ったんです。後日、自分のブログにそのときのイベントレポートを書き、当日のお礼とともに記事のURLをメールで送信。それから間もなくして「ライターになりたいのなら一度うちに話を聞きに来ませんか」と返信がありました。
――どんなお話だったのですか?
小林:そのメディアでは企業のPR記事を書くサービスを提供していて、そこのライターにならないかというお話でした。ただ、僕は公務員なので副業ができない。事情を話すと、副業にあたらないボランティアとしてイベントレポートやインタビュー記事を書かせていただけることになったんです。そのメディアの編集者さんたちはライターを育てていくスタンスだったので、僕が書いた記事に丁寧に朱字を入れてくれて、僕はそれをもとに文章を改善する。そんな工程を何回も繰り返しましたね。
小林: 僕はボランティアだったのですが、当時はライターの能力によって報酬がアップする形式だと聞いていました。たとえばトライアルだと1記事6000円だけれど、質のいい記事を書けるようになったら「じゃあ2万3000円まで報酬を上げましょう」と編集者さんからお話があるイメージです。
1年半ほどそのメディアでボランティアを続け、編集者さんに今の自分のレベルであれば、報酬はどれくらいなのかを聞いてみました。当時は本業があったので、僕が書いていたのはイベントレポートとインタビュー記事を月1本ずつ程度。専業ライターになった場合「ひと月に何本ぐらい執筆できるな」「じゃあ報酬の目安が1本いくらだから月収はこれくらいだな」とシミュレーションしてみて、これならなんとか独立できるぞと見込みが立つようになりました。
家族からの強い反対と揺れる心。3年の時間をかけてついにフリーライターへ
――いよいよ独立に向けて動き出したのですね。
小林:いえ、まだまだ問題がありました。独立するにあたって、家族から強く反対されたんです。妻はもちろん大反対。でも、それ以上に僕の母から猛烈な反対を受けました。実は、独立する前年まで国税局を辞めるつもりでいることは母に言わずにいました。僕としては、ライターの仕事が軌道に乗ってからきちんと説明しようと考えていたので。でも実家に帰省したときに妻がバラしちゃいまして。あのときの妻は、母に「どうかこの人を止めてほしい」と必死だったんでしょうね。その日以降、母から反対メールが次々と届くようになりました。
「独立は思いとどまりなさい」とか「正気に戻るようにご先祖様にお祈りしているからね」といったメールが頻繁に届き、正直なかなかキツかったですね。でも、反対する母の気持ちもわかるんですよ。母子家庭だったので奨学金を借りて進学して、僕が高校を卒業するころには1000万円近い借金を背負っている状況でしたし。だから大学4年生になって就職先に悩んでいたら、ある先輩に「やりたいことより先に、ちゃんと就職してお金を稼げるようにならないとダメなんじゃない?」とアドバイスされ、公務員に志望を切り替えた経緯があります。
――それで国税職員になったのですね。
小林:母がよく言っていたのが「母子家庭だけれど、子どもたちにはきちんと学校に行って、しっかり会社勤めしてもらいたい」という言葉。だから、僕が国税局に入ったときにはとても喜んでいました。結婚して子どももできて、母としてはひと安心だったと思うんです。それがある日突然、息子から「公務員を辞めて独立したい」なんて言われたのですから……。でも、反対されたからといって簡単には引き下がれない。僕は僕で、自分なりの思いや考えをメールで伝え続けました。母とのやり取りは半年ぐらい続いたと思います。
――そうしたやり取りをする中で、気持ちが揺らぐことはなかったのですか?
小林:職場に一人だけ相談に乗ってくれる同僚がいたんです。僕も国税局を辞めるのか、それとも留まるのかで心がかなり揺れていましたが、相談するたびに「どちらの場合も応援するよ」と言ってくれました。僕の話をそのまま受けとめて、励ましてくれたことが心の支えになりましたね。
上司の存在も大きかったです。独立する1年前には上司に伝えたのですが「来年の3月までは辞職の希望を取り下げられる。気が変わったら残ってもいいから、それまで周りにあまり言わないほうがいいよ」とアドバイスをしてくれました。独立準備のために有休をとることにも理解を示してくれて、とてもありがたかったです。
小林:そのあとに僕がやったのは、知り合った編集者さんに独立を考えていると伝えること。そのときには「国税局」の肩書きを入れた名刺を自分でつくって配っていました。僕はもともと積極的に仕事をとりに行けるタイプではないので、自分のことを思い出してもらえたらいいなという期待を込めて。そしてまだ退職前だから「元国税局」ではなく「国税局」と。
――独立に向けて動き出した小林さんを見て、ご家族の様子はどうでしたか?
小林:独立までの3年間で、オウンドメディアの仕事を受けていることや、「退職したら仕事をお願いしたい」と複数の話が来ていることはたびたび妻に伝えていました。そうした姿を見て徐々に納得してくれたのか、最終的には「やるだけやってみたら」と受け入れてくれましたね。
まさかの収入がストップ! ピンチを救うきっかけになったのは「元国税局」の肩書き
――晴れて独立したのはいつごろですか?
小林:2017年の11月です。国税局での勤務は13年になっていましたね。ただ、独立したのはいいものの、仕事は以前からやっていたオウンドメディアのものだけ。不安を抱えながらの独立だったのですが、その翌日に大きな受注がありました。
ブックライター塾の同期に誘われて参加した勉強会で、オンラインショッピング事業や専門家マッチング事業を展開している企業の方を紹介してもらったのです。その企業はメディアの仕事もしていることもあり「ぜひ小林さんに仕事をお願いしたい」と言ってくださって。フリーランスになった初日だったので、こんなにすぐ仕事をいただけるなんて本当に恵まれているなと思いました。
独立した7月の収入は5万円ほど。そのあとも順調に雑誌記事などの仕事が増えて、12月には45万円ほどになりました。
――1年目から順調な出だしですね。
小林:おかげさまでライターの仕事は増えていました。ただ、家族を養うにはまだまだ足りず、しばらくは退職金を切り崩しながらの生活です。ところがある日、それまでの状況が一変する出来事が起きました。年末に妻が入院したんです。当時、妻は三男を妊娠していたのですが、妊娠高血圧症になってしまって。血圧が高過ぎるため、一週間ほど入院が必要だと病院から連絡がきました。でも一週間たっても血圧が下がらず、最終的に退院できたのは2カ月後。我が家には二人の小さい子どもがいたので、妻の入院中一人で面倒を見るしかなくて。取材に行くのが難しくなり、思うように仕事ができなくなってしまいました。
――それは大変な状況ですね……。
小林:収入がパタッと途絶えました。退職金が残っていたのですぐに生活に支障が出たわけではなかったのですが、当時はどうなるんだろうと強い不安を感じていました。やっぱり、お金が少しずつ減っていくのを目の当たりにすると怖くなります。
そんなときに、ブックライター塾の仲間から紹介されていたウェブメディアの編集者さんから「確定申告の記事を書いてもらえませんか」と打診されました。取材に行かなくても書ける記事だと聞き、ありがたく引き受けたんです。『元国税局職員が明かす「確定申告」の注意点』というタイトルで、自分の名前が記載される署名記事。ちょうど確定申告シーズンだったこともあり、その記事がバズってサイト内のアクセス数でトップになりました。
それから、マネー関係の署名記事の仕事が増加。実は、独立した半年ぐらいは実名で税金の記事を書くことに対して恐怖心があったんですよ。
――恐怖心ですか?
小林:元国税職員であることを明らかにして実名で書くということは、当然ですが間違いを犯してはいけないし、正しいことを言ったとしても何らかの批判を受ける可能性がある。そうした不安があって、国税の職員だったことを積極的に押し出す記事はそれまで書いてきませんでした。
でも、あの署名記事に大きな反響をいただいたことで気持ちが吹っ切れましたね。元国税職員がお金について語ることに価値があると気づいたんです。肩書きを出さない記事よりも信頼感が増すし、たくさんの方に読んでもらえる。ライターとしての報酬も増えますから、これからは「元国税局ライター」という僕ならではの肩書きをもっと前面に出していこうと決めました。
初の自著が14万部を突破。YouTubeチャンネルも開設し収入の柱が増えた
――ブックライターとしてだけではなく、著者としても本を書かれるようになりましたよね。
小林:初めての自著の話は、ひょんなきっかけで来ました。独立して1年くらいたったころ、サンマーク出版さんで企画されていた『すみません、金利ってなんですか?』の著者として声をかけていただきました。これはお金の超初心者向けの本で、もともとは僕ではなく、いわゆるお金の専門家として活動している方が著者になる予定の本だったそうです。
ところが、お金に詳しくない人に向けて解説する本なので、編集者さんが複数の著者候補に依頼しても「内容が簡単すぎる」と難色を示されてしまったらしくて。僕がまだ国税局独立に向けて準備をしていたころ、ある集まりでその編集者さんと名刺交換する機会があり「ライターとしてお手伝いできることがあれば」と伝えていたんですよ。それを僕が独立したあとに編集者さんが思い出し、声をかけてくれました。
小林:「僕でよければぜひ」と引き受けたものの、当初は「本当に僕でいいのだろうか」と不安を感じていました。タイトルを見るとわかるように、決して税金に特化した本ではありません。一般的には、国税局の人ならお金周りのことはひと通り詳しいだろうというイメージをもたれやすいのでしょうね。でも実際には、金利や保険について税金ほどの知識があるわけでもない。もうこうなったら「お金周りの基本は押さえているし、わからない部分はしっかり調べて書こう」と気持ちを切り替えました。この金利の本を書いた経験は、僕自身の可能性を広げたと思っています。
元国税局ライターを名乗るからには、やっぱり税金関係の記事を書き続ける必要があるのかなと思っていたんです。でも税金だけでなく、たとえばお金全般、経済全般のようにもっと範囲を広げてもいいのかもしれないと考えるようになって。完璧でなくても広く語れる知識があれば、仕事に繋がる可能性が高いと気づきました。
――『すみません、金利ってなんですか?』は、大ヒット作になりましたよね。ブックライター塾の同期同志で、小林さんのヒットお祝いをさせていただきました。
小林:ありがたいことに出版した年に10万部を突破しました。本の発売は2020年3月。コロナ禍で書店が閉まり始めていた時期だったので、正直なところ大丈夫かなと不安でした。編集者さんから聞いた話では、地方から売れ始めたらしいです。都心の書店は閉まっていたけれど地方ではまだ普通に営業していて、そこからだんだん火がついたと。そのあとも販売部数は伸び続けていて、14万部を突破しました。
この本が売れたことで、元国税局ライターとしての自分の立ち位置がハッキリしました。金銭的にも精神的にも少し余裕が出ましたし、これで食べていけそうだと自信がもてるようになりましたね。
――最近ではYouTubeチャンネルでも発信されていますよね?
小林:金利の本が出た直後に始めたので、2年前くらいからですね。本の販促と新しい仕事の獲得を目的に、YouTubeチャンネルを開設しました。自治体から販路拡大のための補助金も受けています。当時のプランは動画をつくって配信し、集客や販促に繋げるというもの。そのために撮影用のカメラを購入して、やるだけやってみようとYouTubeでの配信を始めました。
YouTubeチャンネルの開設にあたっては、YouTuberとして活躍中のファイナンシャルプランナーさんからアドバイスをもらいました。「定期的に時間を決めて、少なくても週1回は配信したほうがいい」とすすめられたので、動画の再生回数は関係なしにずっと配信を続けていました。ただ、最初は登録者数がまったく増えなくて。
2年ほどかかって、ようやくチャンネル登録者数が1000人を突破しました。YouTubeは登録者数が1000人を超えないと収益化できないので、そこに到達したのが2022年の4月です。そのあとに投稿した相続税調査の経験を語る動画がバズって、登録者数が一気に2万5000人に伸びました。
――コツコツと続けられた成果ですね。
小林:YouTubeを始めた時点で金利の本は10万部ほど売れていたのですが、なかなかYouTubeの登録者は増えない。そこで、本を読んでいる方たちとYouTubeを見ている方たちの層は違うのだと気づきました。逆に言うと、今までとは違う販路を開拓するためにも、YouTubeを続けることに意味があるのではないかと思っています。
実際、YouTubeを見た方から、ライティングだけでなく講演のご依頼もいただくようになったんですよ。出版社の編集者さんも、YouTubeで著者を探すことがあると聞きました。
YouTubeを始めて実感したのは、自分で売り上げをつくるタイプの仕事もやっていく必要があるなということ。フリーランスって、どうしても収入が不安定じゃないですか。クライアントからの発注があって、初めて報酬をいただけるわけですし、案件の内容によっても大きく左右されます。そういった受注仕事とは別のところ、たとえばYouTubeや講座の運営のように直接収入を得られる仕事をつくり、収入の柱をいくつかもてるといいのではないかなと思います。そうすれば、収入的にも精神的にも安定しやすくなりますから。
これからは経験を伝える立場へ。ライター人生は次のステージに突入
――現在のお仕事の状況はどうですか?
小林:先ほどYouTubeで相続税調査の動画がバズったとお話ししましたが、その内容をもとにした本を出版することになりました。それも含め、これから4冊の本が出版を控えています。でも、自著に関してはここでいったん打ち止めにしようかなと考えていて。
――打ち止め?
小林:これまでに6冊。そして、この先の4冊を書き終わったら、元国税局ライターとして自分のもっている知識を全部出し切る感じがあるんですよね。これまで元国税職員として得た知見をかなり使ってきたので、今度はライターとして得た知見を使って何かできないかなと考えています。とくにビジネス系のライターは内容を正しく伝える文章力はもちろん、ビジネスに対する知識や理解力が求められるため、僕が今まで得てきたノウハウを誰かに伝えられるのではないかと。
小林:実際、よく聞かれるんですよ。今は大手企業の社員や公務員として働いているけれど、ライターになるにはどうしたらいいでしょうと相談されることが多くて。そういう人たちは未経験でライターになることに不安を感じているのですが、仕事の経験が必ずライターとしての強みになると思っています。
だから、これからはビジネス系のライターを育てることにもぜひ挑戦してみたいです。あと、最近はせっかくご依頼をいただいても、スケジュールの関係でお断りすることもあります。だから自分と同じようなビジネス系のライティングができる人材を育てて、みんなで仕事を分け合うようなことができればいいなと考えています。
――それは需要がありそうですね! 今はご自宅で仕事をされているのですか?
小林:自宅でも仕事はしますが、主にこの「さいかちどブンコ」に来て執筆しています。ここは「子連れで働ける」をコンセプトにつくられた「シェアアトリエつなぐば」から生まれた私設図書館です。この2つの場所に通うようになってからは、ママさんたちをはじめ地域の友達がたくさんできました。今では僕の子どもをここに連れてきて一緒に遊ばせることもあるんですよ。公務員のころには考えられなかったことです。
――独立して6年たった今、ずばり、フリーランスになってよかったと思いますか?
小林:フリーランスの不安定さは身をもって体験しましたが、それ以上にフリーランスの働き方は素晴らしいと実感しています。どうやって働くかを自分で決められるし、人間関係も含めて自分次第なんですよね。
国税職員だったときは、口外できない話も多いので外部の人と会うことにも気を遣っていました。でも、今は仕事の話も気軽にできるから嬉しくて。自分の子どもたちや地域の人と接する時間もグンと増えましたし、今、すごく人間らしい生活をしているなと思うんです。独立してから明らかに人生が豊かになりました。
だから僕としては、ライターに限らずフリーランスという働き方はもっと広がったほうがいいと思っています。僕自身が6年間で得た経験や見出した価値などを、これからはたくさんの人に伝えていきたいですね。(了)
小林義崇さん
元東京国税局職員、フリーランスライター、Y-MARK合同会社代表。2004年に東京国税局の国税専門官として採用。以後、都内の税務署、東京国税局、東京国税不服審判所において、相続税の調査や所得税の確定申告対応、不服審査業務などに従事する。2017年7月、東京国税局を辞職し、フリーランスライターに転身。マネージャンルを中心とする書籍や雑誌、ウェブメディアでの執筆活動に加え、税やお金に関するセミナーを開催している。著書には『すみません、金利ってなんですか?』(サンマーク出版)、『元国税専門官がこっそり教える あなたの隣の億万長者』(ダイヤモンド社)などがある。
撮影/深山 徳幸
執筆/山本 洋子
編集/佐藤 友美
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